そのスパゲッティは何味?
『「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(Flying Spaghetti Monsterism)という宗教があるのをご存知だろうか。
創作の世界において狂信者を集めていそうな架空の宗教ではない。実在する団体で、世界各地に活動拠点を置き、なんとオランダをはじめとする数カ国で宗教として認められている。
「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(以下FSM教)公式ホームページ(https://www.venganza.org) によれば、海賊がFSM教のルーツになったとか、死後の世界にはビールの火山とたくさんのストリッパーがいるそうである。
このスパゲッティ・モンスターが宇宙を創造したという
その「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」が2017年9月、台湾政府から正式に宗教として認可された。アジアにある政府がFSM教を宗教として認めたのは初めてで、今後FSM教がアジア圏に広がっていく布石になるだろう。
それにしても、世界には色々な考え方があったものである。こうした新興宗教の拡がりから我々が学ぶべきことは、多様な価値観が存在する事を認めて「世界市民」として現代社会を生きるのがアジアでも常識になったということだ。TCGでデッキを作る時もそう。楽しみ方は人それぞれで、同じ土俵に立っていない限り、その根本の考えを否定してはいけないし、同じ皿の上に見えていないものを非難してはいけない。
自分では考えられないデッキメイクセンスが、あのヘンテコな怪物への信仰心から来るものだとしたらどんなに楽しいだろう。』
上のエッセイを読んだあなたはどう思っただろうか。
賢明な人なら「FSM教はパロディ宗教だよ」とか色々浮かんできているだろう。
「ばなな」しか浮かばなかった人はもう少し賢くなってほしい。せめて「ぱすた」だろ。
虚心坦懐に読んで「へー、こんな宗教があるのか、このたしかに否定は良くないな」くらいの感想を持った人がいるかもしれない。その人に向けて以下の記事を書いた。
- すげ替え(カモフラージュ)可能な主張に注意
先ほど言った事をわかりやすく言い直すと「この記事の言いたいことは何か。」これを読み取る術を知るのがこの記事のテーマである。
先ほどのFSM教のエッセイは大きく分けて2部で構成されている。
①前半でFSM教の説明と、台湾政府から認可されたくだりを紹介
②「それにしても」以降で自分の主張を展開
ここで、②の部分をこのように置き換えてみると印象はどうなるだろうか。
『「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、ジョークのようなことが現実に起こっている。彼らの祭りでは、スパゲッティの湯切りボウルを被るらしい。デモ行進やヘイトスピーチの集団でもういっぱいいっぱいなのに、こんな人たちが跋扈するなんて。
日本ではまだFSM教は正式に認められてはいない。しかし、怪しい健康食品が蔓延り、危険な新興宗教が野放しにされている日本である。スパゲッティを気軽に食べられなくなる日も近いだろう。』
「FSM教って危険な新興宗教なんじゃないか」と印象を受けてしまう人が出かねない書き方。危険なのは書いたやつの頭ry
ここで気をつけたいのは、②の主張の内容は何であれ記事が成立してしまうことである。このわずか数文だけで。
②の部分が変わるだけで記事から受ける印象が変わってしまうのがお分かりいただけるだろう。
「基本的な知識にテキトーな意見を引っ付ければそれっぽい主張になっちゃう」 のである。その価値のあるなしは別にして。
この2通りの記事において、FSM教は意見をすんなり読ませるためのカタチあって、自分の主張を受け入れてもらうためのカモフラージュに過ぎない。
僕らがエッセイを読んだ時、本当に伝えたいことは②だけなのに、FSM教までもがこの主張に加担する。同じスパゲッティだが、ペペロンチーノとナポリタンみたいな違いがある。味付けで誤魔化しを効かせているだけだ。
さらにひどいすげ替えを行なってみよう。
『スパゲッティモンスター教がなんなのか、詳しくは知らないが、現代社会には他にもたくさんの問題がある。現在の政権を打倒しなければ、日本に未来はない。』
????????
とんちんかんもいいところである。先に持ってきたFSM教の例をまるまる放置して、自分の意見を言っちゃう人。スパゲッティメインの料理ですらない。パスタサラダである。
世に転がっている意見は、具体例(のようなもの)と主張に何の関係がなくても成立する(ように見える)。主張を通すために序文がカモフラージュにされてしまうのである。
主張の前につける序文は、主張を通りやすくするだけのものなのに、安っぽい主張を格上げするための隠れ蓑として使われてしまうことがある。
- 日常会話における意見のカモフラージュ
このことは日常会話においても起こりうる。
たとえ話は、自分の主張を納得してもらうための力強い武器である。ゆえに、例え話は身の回りに溢れている。人間の歴史をたどっても例え話はたくさん出てくる。故事成語やことわざは言葉自体には意味はないが、歴史的に染み付いた意味がその主張である。新約聖書にも「善きサマリア人のたとえ」というものがある。
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」
と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、私の隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人が、そばに来ると、その人を見て憐(あわ)れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱(かいほう)した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡してこう言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
かなりメジャーな宗教の経典が″相手が納得するように例え話を使って主張すること″は役に立つことであると示しているのだ。
ここで問題なのが、「例え話」を使った意見のカモフラージュである。先ほどのすげ替え可能な意見の例にあったように、例え話にかこつけて安っぽい主張を通そうとしてしまう場合である。
「猿ですら芸を覚えて人を喜ばせるのに、君の態度ときたらなんだ」
「強い心を持つ。そのためには、心の根。
しっかりした根っこを作り上げることだよ。これ見てください。お米の苗。これ、見てよ 根っこですよこれ全部 力強いよね~ 台風が来たり 大雨が来たりしても この根っこがあれば絶対負けないよね!そうだよ!この苗のようにお前も強い根っこを持て!出来るよ! お米食べろ!!」
例え話自体は事実なのだが、そのシチュエーションに当てはまるとは限らない。どこか理不尽さを感じてしまう教訓には多かれ少なかれこういった傾向がある。
主張が言葉に表れない場合はさらに厄介である。
『A君「同性婚を認められないのは、幸せな生活と子孫を残すということを分けて考えられないからじゃないかなあ。家族のカタチなんて時代によって揺らぐわけだし、みんなが子孫を残してきたのは事実であって義務ではない。相手が異性じゃないといけないなんて、多様性を否定してるよね。」
B君「同性婚の是非にはその地域の歴史的な背景も大きく関わるんじゃないかな。A君の言うように家族のカタチは時代で変わるけど、地域性も大きく関わると思うんだよね。その地域で認められ難い家族のカタチを作ったとして、同性婚した家庭が虐げられた場合、その人を公的に守れるほど同性婚への理解が浸透していなかったら、不幸な人が生まれるだけだよね。
生殖うんぬんの話を置いといたとしても、そこはクリアしなきゃいけないよ。」
C「でもB君みたいな揚げ足取りじゃ、たとえ同性でも結婚してくれる人いないと思うなあ(笑)」
周りで聞いていた人「(爆笑)」』
Cは、A君とB君の話という前提を踏まえて自分の意見を言った格好である。
Cの言ったことの文脈的な意味は置いておくとして、その内容はAB二人の話し合いの内容とは全く関係ない。その「でも」が何を指すのかがわからない。感情的なものを無視したとして、残るのは疑問符だけだ。
賢明な読者なら気づいていると思うが、せいぜいウケ狙いに言ってみた程度のものなのであろう。ここでのCの主張は、言葉には表れないものである。
話が少し逸れるが、この「言葉に出ない主張」が自己顕示欲に支配されたものが「嘘松」である。
- まとめ
世に転がっている意見は、具体例(のようなもの)と主張に何の関係がなくても成立する(ように見える)。主張を通すために味付けされたエッセイの序文ほど哀れなものはない。
そのスパゲッティを味付けしたのは誰だろうか?マズイと思ったら、パスタソースの製造元を疑ったほうがいいのかもしれない。