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【まい投2020-6日目】当たり前の証明

年のまいにち投稿を始めて1週間が経った。

見返してみると難しいことばっかり言っていて、自分の正気を疑いたくなるほどだ。

しかし得られた結論はありふれたものだった。昨日の記事の結論だけを言うなら、「真実が一つであること」、「人によって受け取れる情報が違うこと」、「その受け取り方の違いが個性であること」 。だれしも一度は頭をよぎった経験があるような話である。


crowingspear.hatenablog.com

 

の回りのことをわざわざ難しく考えているのだから、どこかで聞いたような結論になるのはおかしい話ではない。まるで今の自分を言い当てたような歌詞も、作詞家の人間研究のたまものである。

人間一人一人違うといっても、基本的なことがかわらないせいで8割くらいは似通ってしまう。口でものを食べるのはほぼすべての人類において昔から変わっていない。プリウスと70年代のセリカを比べて、いくら部品の点数が増えたといっても、「車輪・外装・エンジン・ハンドルがついていること」という車の基礎的な機構はまだ変わっていないのと同じだ。同じ口から物を食べる生き物ならではの共通する偏見は否定できない。

その意味で、ありふれた名言や昔からある慣用句は、マクロに見れば大体正しい。若いときに感じた「大人の知った風なアドバイス」も、悔しいかな、8割は認めざるを得ない。

 

 

りの2割に期待して、「自分の違うところ」を探していた時間は無駄だったのだろうか。数学の公式とか定理だけをテスト前日にさらって臨んだ人と、その定理や公式の証明を理解した人が同じ点数だったら、前日に徹夜するだけで「イケた」ことを自慢するだろうか。

そのテストが終わる瞬間までのごく短い時間なら、コスパ的に前者の方が優れているかもしれない。それでずっとこなしていけるなら本物の天才だと思う。

前日にさらうやり方で「優れている」感覚を育んで、一方で、根本の理解が伴わないなら・・・マジメ系クズの一つのパターンに陥ってしまう。「今更誰にも頼れない」ところまで行ってしまったら・・・根本を理解するところには多分戻れない。

後者は、その間に地面の下に蓄えたものが別の機会に伸びる。学生時代に芽吹かなくても、人生が豊かになる可能性の種が撒ける。・・・それでも探求の8割は「車輪の再開発」に終わってしまうが。

 

 

たり前のことは、「昔の人が経験則で長い間積み上げたもの」というのがその実だとおもう。結論をさらうのもその人の哲学だが、自分の選択を自分で納得したものにしたいなら、まずは細かく刻んでひも解く必要がある。

平易にして短くまとめるのはその後でいい。