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ゆるすことの処方箋

「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」(ルカによる福音書6章より)

 

「ゆるす人」「ゆるさない人」

私たちは、自分に降りかかることや見たものをどれだけゆるしているだろうか。

貸したものを失くされた。友だちにキツイ言葉をかけられた。など、自分に降りかかってきたこと。

同性愛・自殺する人・差別・アベ政治さん…といった他人の考え・価値観。

列挙すれば枚挙に暇がないが、日々、これらに対する「ゆるす」か「ゆるさない」かの判断を私たちは迫られている。

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ゆるすかゆるさないかの判断はひとしだい 

 

僕は結構いろんなことをゆるすほうだ。

少し迷惑をかけても「ゆるしてくれる人」は「寛容・器が大きい・心が広い」という印象を持たれる。僕も他人さんからはそう言われることがまあまあある。

僕が色んな人を観察していると、「ゆるさない人」は結構多いように思える。ある女性が80余年の人生で積み上げたことを理解できず、文句を言いつづける人。アベ政治さんのアンチ。た●のこの里信者。寛容な僕から言わせれば「仕方ないんだからゆるして認めてあげようよ」である。

心の広さを自負する僕であるがその実、家族には「頑固・他人の意見を受け入れない」と言われイジられることがよくある。なんだか矛盾している。

 

ゆるせるのは心が広いから。

心が広い僕は他人の意見を認め、ゆるすように努めている。

なのに他人の意見を受け入れないと言われてしまうのはなぜ?

 

この矛盾の謎を探るべく、「ゆるす」について本気出して考えてみた。

 

「ゆるす」ってなんだ

 私たちは、自分に降りかかることや見たものをどれだけ「ゆるして」いるだろうか。
貸したものを失くされた。友だちにキツイ言葉をかけられた。など、自分に降りかかってきたこと。
同性愛・自殺する人・差別・アベ政治さん…といった他人の考え・価値観。

冒頭で述べたことを再び読んでみると、「ゆるす」という言葉の意味には種類があることに気づく人がいるかもしれない。

その意味を知るために、僕は辞書(大辞林)という名の言葉のアマゾンにおもむくことにした。

メインの意味を2つピックアップする。

罪や過失を,とがめだてしないことにする。また,服役中の人を放免する。 《許・赦》

このゆるしは、自分に降りかかってきたものに対して「いいよ、ゆるしてあげる」という意味である。以後ここでは「赦し」と書くことにする。

願い・申し出などをききいれて,願いどおりにさせる。認める。許可する。

こちらのゆるしは、主義主張や、価値観・不都合なことを聞き入れるという意味である。「アベ政治さんの言っていることは許せない」などはこちらに対応する。これを「許す」と書くことにする。

 

僕が寛容と思われていたのは「赦す」機会が多かったからであり、家族に対して譲れないことを聞き入れるのを「許さない」故に頑固と思われていた と考えることができる。

この2つの意味を区別できていないことで矛盾が生まれてしまったのである。

 

私たちのまわりにも2つの「ゆるし」の区別がつかない人がいる。

 

許されなくとも赦されるべき

赦しと許しの意味の違いの区別がつかない場合に起こる不都合な例を挙げよう。

1つ目は「ゆるさない」場合に起こること。

 部下が仕事でしたミスを上司に咎められ怒鳴られた場合、上司は部下をどちらの意味でもゆるしていないことになる。

仕事のミスは認められるべきではない。上司が指摘すること自体は必要なことである。

その一方で、「赦して」いるなら怒鳴るほど感情を出す必要がない。

怒鳴ることによる教育的効果を期待する人もいるかもしれない「直接暴言を吐かれた人は、処理能力が61%下がり、創造性が58%下がる。」という。(出典:http://jp.wsj.com/articles/SB12408226390103943756704582455700160087784)小さな子どもが道路に飛び出したときなど、怒鳴るほうがいい結果が得られる場合はあるかもしれないが、基本的に暴言は相手の脳を萎縮させ自分の思いどおりにするくらいしかいいことがない。

上司としてミスを看過できない(許せない)ことと仕事とは関係のない彼自身の感情(赦せない)が一緒くたになって、結果関係あることからないことまで指摘する。その後3日間口を利かない…まで行くと極端ではあるが。

その人のことは「ドンマイ、ドンマイ」で済まし、次のミスを許さない。これが区別をしている姿である。

 

次に、「ゆるす」ことによっておこる不都合。

 なんでもゆるす「寛容」な人は、ある意味「カモ」にされやすい。どんな意見も「許す」のはとても危険なことなのである。

その理由はやはり、辞書の中にある。

「許す」の意味の派生として2つを紹介する。

相手のはたらきかけに対し,思いどおりにさせる。 《許》 「敵の侵入を-・す」 

他に対する警戒心をゆるめる。 《許》 「気を-・す」 「心を-・す」

「許す」は、「緩める」と語源を同じくしている。自分の心は広くなるがなんでも許した分だけ他人の思い通りに自分を変えてしまう。多様な価値観の存在は赦すべきであるが、自分がそれを許さなければならないわけではない。受け入れられないことはあってもいいのである。他人の意見を許した分だけ、それが心の壺に溜まってしまう。許せないことは、涙と一緒に流して壺を空にしないと壊れちゃうよ。(僕の壺は一度壊れました)

 

さいごに

許すことと赦すことは同じようでかなり違う。 

自分が他人の意見や価値観を許すかどうか…つまりあなたが同性愛を、自殺を許せるかどうかとあやまちやミスを赦すことは別。だからこそ、殺人は許されることではないが殺人者は「赦されうる」。

 

区別できない故におこる不都合が、まわりや自分自身を傷つけてしまう。

 

「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」
これが「許しなさい」には絶対になり得ないのである。

 

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 こんな感じでいいのだ

 

薬と同じく用法・用量を守らないと、そこに待つのは取り返しのつかない心の病である。