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【6日目】熱中症と合理化

Pmanです。今年の夏は例年に増して暑いですね。猛暑に伴って熱中症予防を呼びかける気象庁の発表もたびたびみますね。猛暑日の制定が12年前ですが、さらに上ランクの暑さの名前が制定されるのも近い将来あるかもしれません。

 

この暑さに関するツイートを調べたんですが、命の危険があるコンディションにいるにもかかわらず「熱中症になるのは気合が足りないからだ!」と言う指導者がいたり、ご年配の方が「大丈夫だから」無理をなさって重篤な症状になったりと、気象庁の警告は響かない人には響かないのかもしれませんね。

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熱中症の話を耳にするたび、身内の高齢者から聞いたことを思い出します。

 

 

「小学生のころ、恐い大人にこき使われてたことがあって」

 

「穴を掘らされて次の日に埋めろと言われたり.休んだらすぐ怒鳴られて竹刀で叩かれたり…あのときはなぜ自分たちがこんなことをやらされているんだろうと疑問におもってたんだけども」

 

「卒業した者は後輩を見ながら皆こう言うんだ」

 

「『俺はこの作業のお陰で強くなれた。お前らもがんばりや』」

 

「その言葉は励みになったし卒業してからもそう思ってたんだけどなあ」

 

「大人になって本を読んでた時に気づいたんだ」

 

「あれは辛いことを納得するための″合理化″だったんじゃないかってな」

 

 

 

ストレスを認知する際にそのストレスを軽減するたまに行う「防衛機制」というものがあります。

合理化もその一つで、「自分の失敗などに論理的な一貫性を持たせる思考をする」「自分の感情を発散するためにした行動に倫理的説明をつけて自分を納得させる」ことで自分がした不合理な行動から受けるストレスを和らげます。

 

難しい説明なので例を挙げてみます。

 

前者については先ほどの高齢者の話を例にとってみます。

当時の小学生たちは「強制的な労働」から受けるストレスを和らげるために「今自分たちがやってること・やってたことは自分を強くするための訓練なんだ」と思い込んだ

ということになります。「思い出の美化」には少なからず合理化が関わっているようです。

 

「部活は辛かったし先生は理不尽なことばかり言ってたと思ってたけど、あれは僕たちのためを思って言ってくれてたんだね。お陰で僕たちも成長できた気がするよ。」

 

後者は、自分が怒りをぶつけたりばかりにコンビニ店員の粗探しをして怒鳴りつける、などです。周りから見るとなんと不条理なクレーマーなんでしょうか・・・。

 

ですが・・・

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こうした合理化の根本は過去に受けたストレスの緩和の名残の場合があります。たとえばその人にストレスのトリガーに関して批判をすると・・・

その人は自分を守っていた合理化という盾を傷つけられることになります。そうなれば彼は自分の身に危険を感じますよね。激しく怒ってしまいます。もしかしたら泣いてしまうかもしれません。

 

あなたの周りにも実は現在進行形で合理化をしてる人がいるかも・・・

自業自得かどうかは論点からずれているので置いておくとして、本人は苦しんでいるかも…?

 

(準備が足りず試験の結果が悪かったとき)

「今回はたまたま調子が悪くて・・・」

 

(ほんとは覚えてたけど行くのが辛くて)

「ごめん!すっかり寝てた!また埋め合わせするね?」

 

上の二つの例のように合理化が嘘を伴うとそれが連鎖して、言葉がその人自身を苦しめることになります。嘘をついて約束を守らないクズに表面上みえたりするんですが、実態を見るとなんとも哀れですね。

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話を聞かせてくれた高齢者はこうも言っていました。

 

「あの頃の私たちはなにも大したことはしてない。ただこき使われていたことに我慢できず虚勢を張りたかっただけなんだ。」

 

 

その話を聞いてから僕は熱中症気合い克服ニキに哀れみの目を向けるようになりました。