7日目 書き続けるには
生徒時代の僕は「自由作文」が嫌いだった。
作文自体が嫌いだったわけではない。必要な知識を辞書やネットで調べ、文構成のテンプレに落とし込む手順に難は感じなかった。
書きたいテーマが全く浮かばないわけでもなかった。自分独自の感性・価値観は未熟なガキなりに持っていた。
その気持ちは恐怖に近かったかもしれない、と思ったのが、十年前後経ってまいにち投稿2019の7日目を迎えた僕自身である。
恐怖、といっても色々な言葉で表せるが、自由作文に限らず創作活動全般を「自分の身を削る行為」だと認識していたように思う。
「創作とは自分の脳の中にあるモノを外界にさらけ出すことである。作品という形で外に出た思考は自分から切り離され失われてしまう」。言葉にすればこんな感じだ。
去年のまいにち投稿でも、青春時代に経験したこのどす黒い感覚に苦しめられた。
見返してみると、豆知識や使っているものの紹介・自分の哲学などが合わせて5割ほどを占めていた。それらは、すでに自分の中にある知識を外に出す記事である。この書き方では、「自由作文と言いながら、書けるテーマは自分の頭になかで完結しているものだけになる」。30日連続でこの形式の作文ができるとしたら、彼は相当な雑学王だろう。
今年は、その日感じたことから着想して「外の世界について感じたことをエッセイとして出力する」ことにしているおかげか比較的ラクに続けられている。
自由作文を怖れていたころと比べれば、それを複数日持続できている今を誇りたい。
拙文ながら、このリハビリに今年もお付き合いいただけると幸甚の至りである。