12日目 歩く
考えることは歩くことに似ている。
僕は「当たり前にある物事」の意味を考えることが好きだ。 論理性に乏しかったり、頭が悪いせいで結論にたどり着けないこともあるが、考えずにはいられない機会が日に何度かある。本来の作業中に思いつくものだから、自動マルチタスク人間である。
その中でも、日をまたいで考える事柄を整理し、少しでも脳のメモリを確保するためにこのブログを書いている。
しかしながら「当たり前」に何か結論を見出そうとしても「当たり前」な答えしか出てこない。
「当たり前」は叡智の積み重ねなので、その結論については一人の人間がそうそう変えられるものではない。もちろんそれはわかった上で楽しんでいる。つまり、得られるゴールが目的ではない。「考えること」はつまり「入口と出口だけが同じ遊園地を歩くこと」なのかもしれない。