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25日目 「森」を見て「木」を見ず 2

 細かいところに目を配りすぎるあまり本質や全体像を見失うことを「木を見て森を見ず」といい、

俯瞰しすぎて個の特徴をないがしろにすることを指して「森を見て木を見ず」という。

ここまでは以前ブログに投稿したおはなしである。 

crowingspear.hatenablog.com

 

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同じ「木」をテーマとした四字熟語に「枝葉末節(しようまっせつ)」がある。

意味は「主要でない細かい部分」「本質から外れた些末(さまつ)なこと」。

また「枝葉末節にとらわれる」と言えば、「些細なことに気を取られて本質を見失う」ことを指すそうだ。「木を見て森を見ず」とほとんど同義である。

「森全体に対する一本の木」「木全体に対して、一本の些細な枝」というふうに、階層構造の違う部分をそれぞれ比べたのに、似た意味になっているところがおもしろい。

 

遠くから一本の木を視界に捉えたとき、まず目がいくのは外身を飾る枝葉の部分。木と触れ合うほど近づかないとその本質は見えない。森全体を俯瞰して眺てみても、幹は目に入らず、なおさら枝葉しか見えないものである。

それでも森は美しいのはなぜか。枝葉で飾られているからこそである。私たちが森を見るとき、木の幹なんて見ない。枝葉を見て楽しんでいる。森全体を見れば、枝葉も些細なことでないように思えてくる。

 

人が集まって作る社会はさながら森のようである。自分が大事にしていることなど周りからはつゆほども気にかけてもらえない。始めはどうでもよかったことが人を魅きつけ、重宝される。そして、そのどうでもいいことが集まって社会が彩られている。

 

紅葉の季節が近い。