【まい投2020-14日目】客観のひき算
自分がで走る車を運転していたとする。
の赤い車に抜き去られる間、自分から見た赤い車の速度は、ひき算をすれば求められる。
自分より20km/h速く見える。
自分より-20km/hだけ速く見える。20km/hだけ遅く見える、と言ってもいい。
どっちからどっちを引くんだっけ?と迷う人は、
「自分基準で見た相手速度」=「相手速度」ー「自分速度」と覚えておけばいい。
簡単な相対速度の問題である。
客観的な速度を測れるメーター2つがあれば、速度感覚を数値に変換できる点で面白い。
この「自分を差し引く」相対の考え方は結構応用が利く。アナロジーだが、「自分基準で見た相手」を考えることができるだろう。
「自分からみた相手」=「相手」ー「自分」
ただ、このままでは「自分」「相手」があいまいなので、補足が必要だ。
相対速度では各々の客観的な速度が基準になっていた。同様に考えればここでは認知なので「客観」が基準になるだろう。
そこで「客観的な自分」「客観的な相手」を当てはめてみると、客観どうしのひき算の式になる。
「自分からみた相手」=「客観的な相手」ー「客観的な自分」
自分から見た相手は「自分が実際に見たもの」であり、 実際に見たものは真実から情報を抽出したものである。
「客観的な自分」とはもうすこし細かく言えば「自分の客観から見た自分」である。「客観的な相手」は「自分の客観から見た相手」だ。相手が客観的に自分や相手を見ても「自分から見た相手」を知れるわけではないからである。
客観的な自分はとらえどころがなさすぎるので後日考えてみたい。
「自分の客観から見た相手」という言葉を読むと、「自分の主観から見た相手」との違いを意識せざるを得ないが、どうにも自分以外の者が自分の中に潜んで勝手に相手を認知しているように思えてきてならない。
信じたくない話だが、実際には起こり得そうなことでもある。好きな女の子が新興宗教に入信していたとしたときの気持ち。好きという主観と、新興宗教という外聞=客観が対峙する。
自分の客観はどうやら、自分の中に潜む何かであろうことがわかった。
加えて、自分の外のことを知るために相対的な考えは便利そうだが、客観を用いるにはいろいろ不便そうな雰囲気である。