【まい投2020-32日目】まいにち投稿2020振り返り【1~17日目】
今年のまいにち投稿を始めて31日が過ぎた。始めたのは中途半端だが、ちょうど1か月分で区切りがいいので紹介記事を書く。(過去記事を読んでほしいのもある)
今年の投稿は例年と違って、ゆるやかに流れがあったので、それに沿ってゆるやかに紹介したい。自分で気に入っている記事の紹介は大見出しにしている。
今日は17日目まで。
「書く」欲求の源泉〜燃料
今年1日目は、去年1日目の「「書く」欲求の源泉」に対応させた記事。
「湧いてきたモチベーションを自分自身がどう昇華させたいのか」について、ブログ企画の記事「【遊戯王Advent Calendar 17日目】デッキ構築をやめよう 」から得た気づきを書いた。
僕にとって『「なりたい自分になる」ことに苦しむ人の助けになればいいな、という気持ち』が知らぬ間に燃料になっている。おせっかいおじさんである。
フィルター
3日目、「ブログネタをどう考えているか 」では、ぼんやりとした考え事をどう記事にアウトプットしているか考えた。その実践として、4日目「画像について考えた思索」にを書いた。今読むと、自分が頭の中で実際に考えていることに近く、いい意味で言語化できてよかったが、本当にとりとめがない・・・。
5日目「真実はいつも一つで多重的 」6日目の「当たり前の証明 」は4日目から思索を1歩ずつ進めた記事だ。「フィルター」というワードを手引きにして、「フィルター=偏見が個性をつくる」「当たり前にたどり着いても無駄にはならないはず」と考えが進んだ。
写真を撮ること
7日目「写真を撮ること 」では、「人の視界がどうしても2Dになってしまい、本来の3Dの形でものを見れないこと」を「1枚の写真」に喩え、情報をある程度補完するには「別の視点から撮る」「動画のように時間を変えて何枚も撮る」必要があると考えた。また、それでも完全には復元できないから「差し引いて」判断しないと誤解を招くと結論付けた。
ブラックボックス
10日目「ブラックボックス 」では「自分とは何か」という問いを関数の問題に喩え、行動=入力値と経験=出力値
の組がたくさんあるほど答えに近づける、と考えた。
その意味で、「やってみなくちゃわからない」とは結果のことだけではなくて、「関数である自分自身」も「まず入力してみないとわからない」。
視界
7日目の流れもあり、11日目から16日目までは、人の視界にフォーカスした記事になった。
14日目「客観のひき算」では、「自分の外にあるものではなく、自分の中から自分を見る客観のようなものがある」という手掛かりらしきものを得た。
プラネタリウム 内から見るか、外から見るか
16日目の記事は僕が今年のまいにち投稿を始める前から書きたかったテーマだ。
人はプラネタリウムのような視界を持っていて、スクリーンに映った2D映像を見ている。自分視点の他人は3Dではなく、スクリーンに映ったごく一面しか見えていない。逆に他人から見て自分は外面の屋根しかみえない。
「客観のようなもの」はプラネタリウムの内側におり、そいつには裸の哲学を晒している。本来他人に見えない部分まで俯瞰して見ることは客観視ではなく「自己分析」。客観的に省みることは「外から見た自分=屋根」を気にして「外面の性格」をどうこうすることで、「ドーム内の自分」を否定することでは決してない。
「客観のようなもの」を「客観視」だと間違えると簡単に自分で自分の人格を否定してしまえる。何もかさぶたがめくれた部分をずっと触るような痛みを感じつづけることはないのである。
1日目の「燃料」=「苦しむ人へのメッセージ」を昇華して、1か月の前半を終えた。書く内容も書き方も、少しずつ納得いくものになったかな、と思っている。
チーズチーズチーズ
その「書き方」の部分だけをぶつけたのが、17日目のこの記事である。
記事を書いた翌日から少し反響があって、早速買って犯罪的な夜勤明け時間を過ごした人や、
買えなくて苦しんだ人がいたそうです。