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ColumbusのたまごColumnブログ

【まい投2020-62日目】ゲームとの付き合い方についての覚書|ゲームはあの日の勉強だった

それでもゲームが趣味ですか?

ゲームが趣味です。
ゲームと言ってもソシャゲRPGとスマホTCGしか触っていない。もともと筐体は持っていないし、FPS、TPSも苦手だ。リアルTCGはやるが、出歩くことが減って最近買いそろえる機会がなくなった。そのほかを強いて挙げるなら、休日や体力のある平日に友だちと通話しながらamong usをやる程度だ。本当にゲームが趣味なのか?
ゼルダの伝説とかFFに新タイトルが出て、みんなと同じスタートラインから1週間くらい詰めに詰めてゲームをすることはもともとない。僕の中の偏見では、ゲームの王道はこっちなイメージがある。
ぼくのやるTCGとかソシャゲRPGというラインナップを見るに、持っている知識量にモノを言わせられる、敷居が高くて自由度も高い「恒久的な」ゲームをやることが多いのかな。
運営からのアップデートに「お、新規出たんだ」といって胸を高鳴らせ、今の知識と照らし合わせながら「凶悪コンボみつけたwwwゲーム壊れるwww」とか言う。そして「新しい環境デッキ」と照らし合わせて、新規を自分の脳内プールに入れる。対戦で実現するまで持っていけるかは別の話。
多分これをやってる時が一番楽しい。新規来たらTLでわいわいやったり通話やLINEで緊急招集かける感じが僕にとってのゲームなのかもしれない。油断すると競技志向になったり「うまい」ゲーマーに擬態しようとしてしまうが、突き詰めるわけでもなく、結局はファンプレイヤーどまりだ。こんな付き合い方でも楽しんではいる。
誰も知らない中、SNSと隔絶された世界で手探りで道を切り開くよりも、誰かがすごさを知ってくれていることを前提とした「有識者気取り」がやりたいのかもしれない。これって趣味ですかね?

これって生徒時代の勉強との付き合い方では?

たくさんのビッグタイトル(教科)があって、一芸に秀でるもよし、手広くやって平均点にこだわるもよし。新規アップデートは毎週あって、フラゲをネタバレをして得意顔もできる。自分で学問書を借りてきて一晩没頭できる。ぼちぼちでも、やらなくてもまあ生きてはいける。(部活や習い事という、多くの中高生視点での)本業との比率を調整すれば、楽しむにも、惰性でやるにも付き合い方は無限通りある。ソシャゲと筐体ゲーの要素を一挙両得できるのが勉強だ。
付き合い方に自由が利くなかで、自分は結構勉強が好きだった。
授業で習った新しい知識を、その場で小手先の解釈を加えて「これってこういうことじゃない?」って友だちに披露するのがすきだった。素朴な物理公式を手に取って「これって宇宙の研究につながるんだぜ」などと言って曖昧きわまりない「ロマンが芽吹く前のつぼみ」を集めて、「ロマン」を手に入れたつもりになっていた。
思うに、純粋なフロンティアの探求よりも、誰かがすごいと言ってくれる前提の「有識者」でいることの方が好きだったのかもしれない。あれ?これって(以下略
それを「学問が好きで知的好奇心が強い」と勘違いできた結果、世界が広がって、幸せに存在できているとは思う。結局ファンプレイヤーどまりなんだけどね。やかましい。

今日はなんでこんな書き方なの

今日だけ書き方を変えてみた。購読している大好きなブログのスタイルである。
白黒(はぐろ)れむ様の「珈琲三杯|思索のための思索」というブログだ。
大好きなの理由は何個かあるが、その一つは全人類全方位に向けた「博愛」が感じられるからで、この記事はうなずきすぎて前転しました。
shirokuro-044.hatenablog.jp
僕の中ではこれが近いかな。恨み言に転化して真逆のこと言ってるみたいだけど、根底にあるのは全存在へのアガペーです。crowingspear.hatenablog.com

ふっかけたからには殴られる覚悟はできています

白黒れむ様の記事を読んでいつも思うのは、日常に思索が根付いている理由からか、硬い書き言葉のなかに(多分頭の中で一回音の情報にしていると思う)音としての言葉がリズムよく調和していて、生きた哲学を感じられることだ。
僕は読んだ本についての解釈をただ書き連ね、著者作者にビビりながら該当箇所を読みなおして投稿している。せっかく胃に入れた理解を口に戻して反芻している。だから書き言葉ばっかりの硬い文章になっているのかもしれない。
そこからの脱却「も」もくろんで、いきなり失礼してこんな引用をさせてもらった。
正直「お前誰?」って思われることを見越して、若干怯えながら書いてます。覚悟は・・・できてる。
shirokuro-044.hatenablog.jp

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