【まい投2020-64日目】人間の味方は人間
人が裸一貫で未開の地に放たれたら、彼は法律から縛られることがない。他の者を殺しても咎める者はいないし、盗みも姦淫もしようと思えばし放題である。彼を縛り付けているものは自分の能力の限界、もっと広く言えば物理法則だけだ。
いいことばかりでもない。命を狩り、外敵を排除しなければ生きていけない。病気や怪我をした時、一気に食料危機に瀕する。
もう一人が野に放たれて、その人と協力して生きるようとするなら、二人になったことで生存できる確率が上がる。食べ物の供給も安定するし、一人が病気になっても養生できる。
一方で、協力関係を結んだ段階で自分は「相手を害する権利」を失っていることになる。
互いに取り決めをして権利に制限をかける代わりに生きる確率を上げているのである。
人との関係がムラになるとこの取り決めが「掟」になり、国になった時に「法」になる。それにつれ、個人の生命維持は確実になっていく。一人一人のできることに制限をかけるかわりに、死なない安心を得ているのである。この取り決めに守られている限り、人間の一番の味方は人間だ。もっと言えば、人間に一番益をもたらすのは人間と言うことになる。
いままで隆盛してきた学問も、生きながらえてきたものは根底に「人間のため」という前提がある。人間が生存しない方向に向かう哲学をもつ学問があったとしても、その哲学ゆえに主流にはなれず、掛け算で減っていく。
その意味で、法律も学問も、その適不適や善し悪しの程度は変わるのかもしれないが、人間にとってその存在意義自体が失われることはない。あえてそれをないがしろにしたり、「人間のエゴ」に絶望するなら、裸一貫で未開の地に戻ってみることをお勧めする。