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ColumbusのたまごColumnブログ

【まい投2020-78日目】好奇心に関する引用集・メモ

このごろ好奇心について何個も記事を書いてきて好奇心に関心持ちすぎでは??????となっているが、ここまでまいにち投稿を続けてきて、このブログの1つの方向性として見えてきたのかもしれない。

囚われないことは、この透明半球の視界360°をすべて見ていることにあたる。すべて見ている以上、すべての情報を自分自身で判断しなければならない。パソコンをメモリ容量を超えて働かせいるようなことが往々にして起こる。こだわりなく見ることは、脳のメモリを圧迫するという意味で苦しいのである。 肩書や信仰みたいな自分を囚らえる存在は、半球内の視界を覆い隠してくれる。 覆い隠された範囲から入ってくる情報は、その「立場としての」フィルターがかかったものになり、考えることを減らしてくれる。 例えば、視界を半分預けられるくらいのフィルターがあったとする。「私の言うことを聞いておけばいい」状態だ。360°のうち180°を見なくて済むとなると、ぐっと楽になる。残り半分だけを自分で判断すればいいからだ。 その意味で肩書や信仰に囚われることは苦しみからの解放になる。

【まい投2020-45日目】囚われることは救い - ColumPus

その意味での「見る」ことは、視界にとらえたものとの「距離をなくす」ことである。 私たちは、視界にあるたくさんのオブジェクトにかわるがわるピントを合わせ続けている。そのつど「あれは何だろう・・・。あ、バケツか。」「花が動いたな、虫が止まっているのか」などと考えて遠くにあるオブジェクトに気を取られ、逆に手元にあるものを見落としている。 その意味で、ピントを合わせている場所が自分に一番近い。ピントを合わせに行く「見る」という行為自体が「距離をなくすこと」と言えるのである。

【まい投2020-39日目】無限の好奇心 - ColumPus

上のたとえが適用できるなら、好奇心からくるナノメートル程度の「小さなスケールの動き」だけでは、わたしたちが「何か成し遂げたい」と欲するような長いスパンでの動きは見込めないことになる。 「これをやるぞ」とあらかじめ決めて実際に行動することで「風に対応する指向性のある流れ」をつくり、瞬間瞬間で好奇心を発揮するのがちょうどいいのかもしれない。

【まい投2020-74日目】好奇心と空気分子 - ColumPus

好奇心みたいな目先の欲求は、空気分子みたいな進み方をする、とつねづねイメージしている。 すごいスピードで動く代わりに、すぐに動きを変える。指向性がなくて、長い目で見ると結局はその場にとどまっている。好奇心で目に捉えたことを行動に移そうとすると、途端に退屈になる。好奇心で「ものごとを把握」するスピードに対して、実際に「経験したことを理解」するのはかなりゆっくりだからだ。 教科書のまだ習っていない範囲を見て教科書1冊わかった気になるのはすぐだが、実際に問題に当たって解けるようになるまでにはもっと時間がかかるのと同じだ。

【まい投2020-74日目】好奇心と空気分子 - ColumPus

その意味での「見る」ことは、視界にとらえたものとの「距離をなくす」ことである。 私たちは、視界にあるたくさんのオブジェクトにかわるがわるピントを合わせ続けている。そのつど「あれは何だろう・・・。あ、バケツか。」「花が動いたな、虫が止まっているのか」などと考えて遠くにあるオブジェクトに気を取られ、逆に手元にあるものを見落としている。 その意味で、ピントを合わせている場所が自分に一番近い。ピントを合わせに行く「見る」という行為自体が「距離をなくすこと」と言えるのである。

【まい投2020-39日目】無限の好奇心 - ColumPus

人のうわさはなるほど好奇心からくるものである。これを吹っ切るのに75日かかるということは、好奇心の行動の自由行程が影響をなさなくなるほど十分に長い時間を経るのに75日かかる、という類比を立てられる。 大雑把に100日とすれば、分子運動(60nm)と日常の風(1m)のスケール比を適用させて好奇心の自由行程を求められる。 すなわち 好奇心の自由行程100日=60nm1m好奇心の自由行程100日=60nm1m 計算するとおよそ0.5秒である。好奇心の移り変わりは0.5秒で行えるという計算なのである。なんたる速さ・・・。

【まい投2020-75日目】「好奇心」:「人のうわさも75日」 - ColumPus