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やべえやつは一生やべえやつでいてくれ

 昨今、SNSを開けば「やべえやつ」の話題で埋め尽くされている。奇行、迷惑行為、言動の一貫性のなさ——かつては身内の酒の席で語られる程度だった「やばさ」が、今や世界に向けて晒され、拡散され、嘲笑の対象になっている。本人がそれを望んでいるかどうかはともかく、われわれは今日も新たな「やべえやつ」を見つけては消費し、溜飲を下げる。道端で列に割り込むやつ、煽り運転をするやつ、飲食店で理不尽に店員を怒鳴るやつ——世の中には一定数、そういう人間がいる。そして彼らは、そう簡単には変わらない。

 


 やべえやつは、やべえままでいてくれる方が都合がいい。なぜなら、彼らが突然まともになったところで、観測者にとっては面白くもなんともないし、「あいつ、前はやばかったのに」と拍子抜けするだけだからだ。むしろ、彼らには最後までやべえままで突き進んでほしい。本人が気づかぬまま、社会の中でどんどん生きづらくなっていく——それこそが、観測するわれわれにとっての一種の娯楽であり、納得のいく結末だからだ。

 


 そして実際、やべえやつは大抵の場合、やべえままでいてしまう。最初はSNSで暴れたり、道端で割り込んだりするくらいだったものが、次第に範囲を広げ、家族や友人、職場にまで影響を及ぼしていく。親族とは何かしら揉めごとを起こすだろうし、友人からは距離を取られ、職場でも扱いに困る人間になる。それでも本人は、『自分は悪くない』と思い込みがちだ。結果として、気づかないうちに孤立し、どんどん生きづらくなっていく。われわれとしてはその顛末を静かに見守るだけで十分である。 「あんなに好き放題やっていたのに、気づけば誰も味方がいない」という状況は、やべえやつ自身が招いたものだ。周囲が矯正しようとしても、大抵の場合、労力の無駄に終わる。ならば、彼らがやらかし続けるのを眺め、やがて自滅していく様を観察するほうがよほど合理的だ。彼らが転落していく様は、時に滑稽であり、時に興味深い社会実験のようでもある。

 


 輪廻転生的な考え方を持ち出すなら、「やべえやつ」がやべえまま生き終えることこそが、彼らの業の完遂であり、同時に罰でもある。日本人には馴染みの深いこの考え方——生まれ持った性質や行動が、その人間の運命を決めるという発想を当てはめれば、「やばさ」を抱えたまま生きることが、その人間にとって最も自然な道だと言える。自らの「やばさ」に気づくことなく死んでいくこともあるだろうが、それはそれでいい。『やべえやつに「悪役」を押し付けて、安全な場所から見ていられる。』そう思い込んで、やべえやつがやべえままでいてくれることが、ひとつの現実として皮肉にも心を落ち着かせる理由となっているのだ。

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