ColumPus

ColumbusのたまごColumnブログ

『″一般論″論』

f:id:crowingspear:20230820175547p:image

自分が見つけた″一般論″を語りたくなった時には注意が必要だ。


そもそも一般論は、一般化を極めれば極めるほど、味が薄くなる。どの地域・どの人種・どの時代にでも通じるような一般論はほとんど語り尽くされて社会通念として溶け込んでいる。誰にでも通ずるような社会通念を説かれることは、パスタを食べながらその茹で汁の品評をしているようなものだ。


「「ニュートン力学のma =Fなる運動方程式」は、かなり広範な運動を記述できる。ただ、その式自身は抽象的で、ma=Fと言われただけでは、それがどんな運動を表しているのかさっぱりわからない″一般論″的な式というわけだ。

バネに繋がれているとか、初速0だとか、限定的な条件を使って、他の可能性を捨て去ることで初めて、眼前にある運動を「味わう」ことができる。


さて、「味付け」は一般論の可能性を捨て去るんだが、同時に話の面白味を増してくれる。

″一般論″を自分が語りたいと思ったなら、多かれ少なかれその論を味わって欲しいはずだ。しかし一般論とは元来無味乾燥なのだから、いわゆる″一般論″の旨さは、限定条件の「味付け」のおかげである。


例えば、あるあるネタが面白いのは「味付け」によって限定した範囲で、限定した範囲内の人に対して語るからであって、今や『3日連続朝が来る あるある探検隊 あるある探検隊』と言っても面白くない。他にも…オードリーがボディビルダーだけに漫才を行ってバカウケするのは、ボディビルダー向けの味付けをネタに仕込んだからだと言える。話は逸れるが、「人それぞれ」という言葉は、かなり味の薄い一般論だ。具体的な話を避け、味の薄い水で流す時に処世術的に使われる、他人との関係を薄くする言葉。

話を戻すと、″一般論″を一般論として面白く語る時、何かしらの味付けを加えている。味付けを加えると同時に、面白味を感じてほしい対象=目的語を小さく絞っているはずだ。

「動物ってのは赤ちゃんを見ると無条件で守ってやりたいと思うものなんだ」とか、「オタクは〜」「若いもんなら〜」だとか。そうして、味付けによって目的語が小さくなった分、相対的に主語がでかくなる。

つまり、″一般論″を面白いと思い語ろうとしたとき、それは必ず主語がでかい話になる。

 

 

わかる?」

 

今年最後の猛暑日。コップの足許を取り囲んでいた楕円形のシミが消えようとしている。

まずいな。へんな喩え話しか頭に入ってこなかった。


「とはいえ、パスタの茹で汁って結構塩味感じちゃいませんか?」


「え、何の話してんの?話聞いてた?」

 

なめてんの?と続きそうなくらいの鋭さでツッコミが飛んできた。咄嗟に笑ってごまかそうとしたが、先輩が望むような表情を出せた自信がない。苦笑いを誤魔化すために飲んだミネラルウォーターは、常温に戻ったからか、それ自身とても甘く感じた。