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【第7回 #鳥オフ】鳥を″特别″にするには【RR-ワイルド・ヴァルチャー】

自分の鳥カードが″特別″であると示すオフ会、鳥オフ。先月11月初旬に4年ぶりに開催でき、第7回は新しく参加者された方、リピーターの方、運営含め全員楽しんで終われたと思います。運営として携わったオフ会がこんなに愛されて嬉しい限りです。

 

さて、鳥オフが始まって以来6年、私Pmanは《RR-ワイルド・ヴァルチャー》を鳥カードとして選んで参加しています。カードプールの変遷とともに、手を変え品を変え色々な《RR-ワイルド・ヴァルチャー》のデッキを組んできました。好きという感覚を超え、ある意味もう執着とか呪いとかその域に達しているのかもしれませんね(笑)

 

恒例となった、鳥オフ独自の対戦相手への評価システムですが、運営の私も評価していただいていました。(ランキングには参加していません)

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嬉しいことに、18点満点中16.56という高評価をいただき、運営内で1位を取ることができました。俺の鳥が最強や!

 

さて、ブログ記事リレー企画として、鳥オフ運営による鳥デッキの構築方法の提案・例示をテーマに記事を作成しました。これまでの【RR-ワイルド・ヴァルチャー】を振り返って思うことを下に記しましたので、ゆっくり読んでみてください。

鳥オフ前にデッキレシピ例示記事も書いておりますので、そちら併せて見ていただけると嬉しいです。

crowingspear.hatenablog.com

 

 

鳥を″特别″にするには

 

客観視を獲得するともに主観が迷子になるのが青年期であり、人は青年期、そしてモラトリアムにかけてアイデンティティの獲得を目指すものである。こういった時間に遊戯王というゲームしてきた身にとって、アイデンティティの獲得という発達課題への挑戦の苦しみは、デッキ構築にも現れていた。

 

鳥オフというオフ会でデッキ構築をするにあたって、たとえば《RR-ワイルド・ヴァルチャー》であれば、《RR-ワイルド・ヴァルチャー》は誰なんだ?から始めるだろう。そして《RR-ワイルド・ヴァルチャー》にしかできないことは何か。《RR-ワイルド・ヴァルチャー》でなければならない理由は何か。《RR・ワイルド・ヴァルチャー》が″特別″になれるシチュエーションを探して、悪戦苦闘が始まる。

 

面接のための自己分析が苦しいのとまるっきり同じだ。恋人にとって俺でなければいけない理由。御社にとって自分が必要な理由。俺は何のために生きて、どう死ぬのか。人生の目的は。勉強で身につけた客観視を駆使し、この世界で俺が″特別″であるという証明問題を解かなければならないという強迫観念に駆られてしまう。

 

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《RR-ワイルド・ヴァルチャー》を中心にして、相性の良い《ダークネス・シムルグ》《闇黒の魔王ディアボロス》がくっついてきて、それを揃えるためのカード、相性の良いカードが全てのカードプールから候補として挙がってくる。テキストではない。カード達の相関図そのものこそが、《RR-ワイルド・ヴァルチャー》を表す全てである。しかしながら、デッキの中にその全てを内包することはできない。ただ一側面に限定して《RR-ワイルド・ヴァルチャー》の相関図を切り取る作業である。そこに、「俺にとっての」《RR-ワイルド・ヴァルチャー》はこうなんだという観念が、デッキとして形に現れる。

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自分という存在の″形″がレーダーチャートのように確定していく青年期に身につけられる言葉が「俺にとって」という枕言葉である。自分が全世界に対して唯一性を帯びる必要はないという免罪符となる反面、自分の価値観や能力が白日に晒されてしまう恐ろしさとも戦わなければならない。まるでマインスイーパを1マスずつ開けるときのように、ハラハラした気持ちで、「俺にとって」の形を探っていくことになる。その形は、一生懸命身につけた客観視にとって何の意味も持たない。

 

「俺にとって」という唯一性を捨てる免罪符を使用した以上、全世界に対し唯一でなければならなかったデッキは、唯一でなくなってしまう。「人それぞれ」という凡庸な価値観で片付けられてしまう恐ろしさからそのデッキを認めてあげられるのは、迷子になっていた主観しかいない。世界が《RR-ワイルド・ヴァルチャー》を愛さなくても、俺が愛していればいい。

 

この世界で自分の好き嫌いを判断できるのは自分しかいない。価値観の主体を自分に取り戻せたなら、「俺にとっての」という枕詞を使う必要がそもそもない。唯一性を求めないことが罪でなくなった今、免罪符も意味をなさなくなっているはずだ。世界にとって自分が特別であると証明するのが目的ではない。幸にも不幸にも、俺にとって自分は特別でしかあり得ない。

 

つまり、鳥カードが特別になるのはデッキ構築によってではなく、デュエルによってでもない。主観で″鳥″を選んだ瞬間である。あとは、俺にとって見せたいカードの一側面とは?を考えてやるだけ。俺にとっての″特別″のイメージを自分に対して示したものが鳥デッキとなる。

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