存在することによる罪とその原罪性(存在する限り在ること)についての非神格的論述
第I章 定義
定義1(主体と存在)
主体とは、作用能力を有する存在である。「主体が存在する」とは、「世界に対して作用し得る状態にある」ことと同値である。
定義2(作用)
作用とは、主体が、能動的または受動的に、他者および世界の状態を変化させることである。
定義3(倫理的負債)
倫理的負債(罪)とは、作用によって不可逆に生じた倫理的責任である。この負債は、負債を負う主体が存在する限り消滅せず、蓄積し続ける。
定義4(自責)
自責とは、主体が自己の倫理的負債を認識したことによって生じる苦痛である。
定義5(非存在)
非存在とは、作用の完全かつ永続的な停止状態、すなわち主体性の喪失を指す。
定義6(解放)
解放とは、自責が完全に消滅した状態を指す。
第II 章 公理
公理1(作用と負債)
他者および世界への作用は、倫理的負債を生じる。
公理2(自責の不可避性)
主体は、存在する限り自己の倫理的負債を認識せざるを得ず、その認識は自責を生じさせる。 (※認識能力の完全な喪失は主体性の喪失を意味する。
公理3(自責の消滅条件)
自責は、主体が作用を継続している限り消滅しない。 作用が完全かつ永続的に停止したとき、自責は必然的に完全に消滅する。
公理4(存在と作用の不可避性)
主体が存在する限り、他者または世界への作用は不可避に生じ続ける。
第III 章 定理および系
命題1(無作用と無生成)
作用が存在しないならば、新たな倫理的負債は生成しない。
証明 公理1 より、倫理的負債の唯一原因は作用である。
∴ 成立。 □
定理1(作用停止の十分性)
作用の完全かつ永続的な停止は、解放への十分条件である。
証明 主体の作用が完全かつ永続的に停止したと仮定する。 定義5(非存在)および公理4 の対偶(作用停止 ⇒ 非存在)により、作用の完全かつ永続的な停止は、主体性の喪失を意味する。 公理2 の注釈および定義5 より、主体性が喪失すれば、自己の倫理的負債を認識する能力も完全に失われる。 認識する主体が存在しないため、公理2 に基づく自責の発生条件が満たされなくなり、
自責は完全に消滅する。 定義6 より、自責が完全に消滅した状態は解放である。 ゆえに、作用の完全かつ永続的な停止 ⇒ 解放。
∴ 作用停止は解放の十分条件である。 □
【注釈1:罪の不可避性と存在の原罪性】
本定理の対偶、および公理1・2 の系として、「作用する主体は倫理的負債から逃れることができない」という命題が導かれる。主体が能力を有し、世界に位置を取る(存在する)限り、他者との摩擦は避けられない。すなわち、「行為の結果としての罪」だけでなく、「存在すること自体がすでに罪(負債)を生じさせている」という実存的な原罪性が、論理的に保証される。
定理2(作用停止の必要性)
解放されているならば、作用は停止している。
証明 主体が解放(自責の完全な消滅)されているにもかかわらず、なお作用していると仮定する。 作用しているならば、公理1 により倫理的負債が生じ、公理2 により主体はその負債を認識し、自責を生じる。これは「自責が完全に消滅している」という解放の定義(定義6)に矛盾する。ゆえに、主体は作用していない。
∴ 解放 ⇒ 作用停止。 □
注釈2(他者による救済の限界―裁きと赦し)
他者は、主体の倫理的負債に対して「裁き」または「赦し」を与えることができる。しかし、裁きは倫理的負債の存在を確認する作用にすぎず、赦しもまた主体と負債との関係を継続することを許容する作用であって、負債そのものを消滅させるものではない。さらに、公理2 により、主体は存在する限り自己の倫理的負債を認識し続け、自責を免れることはできない。したがって、他者の裁きや赦しは主体の自責を一時的に緩和し得るとしても、それを完全に消滅させることはできない。ゆえに、本体系において救済は他者から与えられるものではなく、作用の完全停止を経て自責が消滅することによってのみ成立する。
定理3(非存在の必要性)
解放のための必要十分条件は、主体の非存在である。 証明 定理1 および2 より、解放 ⇔ 作用停止。 公理4 より、主体が存在する限り作用は不可避(対偶:作用停止 ⇒ 非存在)。ゆえに、解放 ⇔ 非存在。 ∴ 成立。 □
【注釈3:関係性の完全な断絶】
主体が非存在に至ることは、すなわち世界および他者との「関係」が完全に、かつ永続的に断絶されることを意味する。他者の記憶や世界に刻まれた負債(痕跡)は残るかもしれないが、それを受け止め、苦痛する「器(主体)」が消失することで、倫理的摩擦の場そのものが消滅する。これが本体系における「救済」である。
系(救済の不可能性と非存在による達成) 倫理的負債は不可逆である(定義3)ため、負債そのものを消滅させることはできない。したがって、救済とは「負債の消滅」ではなく、「負債を負う主体の消滅(非存在)」によってのみ達成される。すなわち、存在することが罪に成り、その罪の自責から逃れる唯一の方法は、存在をやめることである。








