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5日目 生物学の発展に伴って倫理学は不要になるか?

「生物学が発達するに伴って、倫理学は不要になるか」という問いに対し、私は「不要になることはない」

と考える。

この問いは、「倫理的行動が人間特有のものでなく、人間以外の種でも進化の過程で獲得しうる」実験事実から、「①過去の倫理学の姿勢が誤りであり、②倫理的行動の説明を生物学の立場から説明できるようになった」ことから生じたものである。この問いが生じた原因①②それぞれが「倫理学が不要になる」原因とならない説明をし、それをもって「不要にならない」説明とする。

まずは「①過去の倫理学の姿勢が誤りであった」ことである。人間の行動規範を謳う倫理学の一部の分野は「チンパンジーの倫理的行動の研究」により誤りであることが判明した。しかしながら、人文科学に限らず科学は新たな発見によって塗り替えられるもので、類例はあまた存在する。たとえば地質調査などによって正しいとされた歴史が誤りだったと判明すればそれに応じて歴史観を変える必要がある。自然科学においても「フロギストン説」、「エーテル仮説」、「量子力学の出現による古典物理学の立場の見直し」など、修正を迫られることで科学が発展する側面がある。過去の倫理学の姿勢が誤りだったことが倫理学が不要になる理由にはならない。

つぎに「②倫理的行動の説明を生物学の立場から説明できるようになった」ことである。「人間」を興味の対象としている人文科学の諸分野(倫理学を含む)は生物学の上に立脚する学問であり、立場としては生物学に立脚する学問である。これと同様の学問として、数学に対する物理学の例がある。物理学は数学に立脚しており、自然現象に数学的説明を加える学問であるが、多くの分野が厳密な数学計算を放棄し、物理学的意味としての近似を用いて学問が成立している。数学という事実(数学もまた絶対的な事実といえるわけではないが)に、物理学的意味を加味した結果の積み重ねとして物理学が発展した側面がある。生物に対する人文科学の関係に当てはめてみれば、「人間以外の動物も倫理的行動をする」という事実に倫理学的な意味で説明を与えるのが倫理学の立場になるべきである。①の内容と被るが、その立場が旧来の倫理学のそれとは別のものになるかもしれないけれども、修正し発達した倫理学の立場で生物学事実を再解釈する余地が出てくる。