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【まい投2020-18日目】真実の伝聞についての思索

5日目の「真実」についての記事から、真実が人づてに伝わるときのことを考えてみた。

crowingspear.hatenablog.com

 

真実とは、自分がインプットする前の、フィルターを通っていない情報のことだ。

逆に言うと、目・耳やほかの感覚器官を通して入ってきた情報はすべて真実由来のもの、ということになる。

一方、真実は一つだが、人によって無限の方法で解釈されうるのであった。

さかのぼれば、1つの真実には色んな解釈をされる可能性が秘められており、フィルターによって私たちはそのうちの1つをつかみ取っているのである。

 

「今日食べたカレーがうまかった」はカレーの味覚・嗅覚情報をインプットして判断を加えた結果で、「カレーがうまい」は「食べられたカレー」という真実が解釈されうる色んな可能性のうちの一つだ。人によっては「そのカレー」はまずいのかもしれない。

 

『B君が言う、「A君、陰で悪口言ってる」らしいよ』という伝聞も真実である。

しかし、「どの部分が真実なのか」に気を付けないといけない。

「A君が陰で悪口を言っている」のは真実ではない。『B君が「A君が陰で悪口絵を言っている」ことを伝えた』ことが真実なのだ。

この真実情報に対してのみ、フィルターをはたらかせるべきだと僕は思う。

B君が言う伝聞の「」内を真実と誤解すると、B君が言ったという情報が抜け落ちてしまう。

 

 

こういった「人づて」の情報はニュース・ゴシップ記事など、様々な形で目にしたり耳に入れることができる。

そうした情報が真実たり得るのは、その「伝えた人間が誰か」が目の前にいるときだけだ。そして伝えられた人間は「自分」だけである。(伝えたには、たまたま耳に入った、も含む)

「自分」の「目の前で」「誰々によって」起こった現象のみが真実で、その経験のみから人は自分だけの価値判断を勝ち取れる。

 

伝聞の中身の真実性は、伝聞されるたびに失われていくものなので、インプットの段階で減衰させられている。

「A君が陰で悪口を言っている→B君がインプットするB君が僕にアウトプットする→僕がインプットする」という形で二重にフィルターがかかっているからである。アウトプットの際も、言葉づかいや伝達手段によって情報の減衰の仕方が変わる。

その大きな2つのフィルターの1つごとに80%の情報しか残らないとしたら、すでに真実の64%しか残っていない。信ぴょう性の高い科学論文みたいな情報はその減衰の仕方が90%だったりするわけである。

そのことを念頭に置いて、一定の割合を差し引いて情報をインプットするのが「伝達情報」で誤らないための方法だ。

 

N国の大統領Kがパレードを行ったと、国営メディアが伝えました。」というニュースが二重のフィルター後の情報だとわかれば、そこが解釈のスタートラインとなる。そこには伝えるニュースキャスターと伝えられる自分の存在がある。伝達はそれぞれのフィルターを通るので、誤った伝達が行われたとしたら、伝えた相手だけでなくそう判断した自分も誤りの原因なのである。