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「それはどうかな」に見るDTU学

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それはどうかな?は時間認識のズレ

遊戯王アニメにおいて、代々逆転のきっかけになってきたセリフで、ここからデュエルが一転攻勢になり、処刑BGMが流れること請負いである。

実際のセリフ回しでは「そいつはどうかな」「そりゃどうかねぇ」など様々に活用されているが、意味合いは同じである。また、「それはどうかな?」を伴わない一転攻勢のきっかけとなるセリフも、ここではそれに含める。

「それはどうかな?」を僕なりに解釈すると、

「それ」とは、「相手が勝つと思ったタイミング」であり、 「どうかな?」と言う裏には「そのタイミングでは勝たせない」という強い意志が隠れている。

だから「それはどうかな?」は「お前が勝つと思っていたタイミングでは勝たせないぞ」という意味で、より勝ちが確定的な時は「お前が思っていた勝ちとは違うタイミングで俺は勝つぞ」という宣言、と僕は思っている。

要は、「相手と自分の時間認識をズラすこと」。

遊戯王」の「時間に関する話」なので、遊戯王AdventCalendar2020の僕の記事で紹介した「DTU」で説明してみたい。

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DTUの例(決闘者統一理論より)

決闘時間単位とは、遊戯王OCGに関係する時間単位のことである。 英語にするとDuel Time Unitだが、長いのでDTUと書くことにする。 普通の時間単位は1秒・1分・1時間だが、決闘に関するものさしだから決闘のワードで表すほうがわかりやすい。

【遊戯王Advent Calendar 22日目】決闘者統一理論 - ColumPus

このDTUを用いて表現しなおせば「それはどうかな」は「相手と違うDTUで勝ちに持ち込むときの常套句」である。

実際のアニメを手引きに、それはどうかな?のDTU的解釈について考えてみよう。

敵のDTU vs それはどうかな?のDTU

素良vs黒咲(遊戯王ARC-V 34話より)

自分の場のカードをすべて失い、手札なしの状況でデスティニードローをした≪魔玩具融合≫で攻撃力2800の≪デストーイ・マッド・キマイラ≫を召喚した素良は、その攻撃で≪RR-ブレイズ・ファルコン≫を奪い、黒咲を絶体絶命に追い込む。

素良「せめて最後は自分のモンスターの手にかかって終わらせてあげるよ」


素良「ブレイズ・ファルコンの直接攻撃で1000ポイントのダメージを与えれば、残りライフ400の君は・・・」

黒咲「笑止」

素良「なに?」

素良の一手に対して、黒咲は先回りして≪RUM-レヴォリューション・フォース≫を伏せていた。

相手より一枚上手のDTUを想定し、素良の勝ちのタイミングをずらしにかかったのだ。

攻撃力2000の≪RR-レヴォリューション・ファルコン≫を目の当たりにし、いまだに勝ちの揺らぎを認めない素良に対して、 黒咲は「果たしてそうかな?」で素良に決定的敗北を突き付けたのである。

このデュエル、別の見方でも黒咲のDTUが素良より優れていることがわかる。

素良はこのデュエルを「X次元の残党を狩るただのいちハンティングゲーム」と捉えていたのに対し、黒咲は「故郷を狩られ続けた積年の恨み」を持って素良に対峙していた。

DTU=1デュエル vs DTU = 1年(以上) である。

「味方が奪われたこと」を黒咲が想定できたのも、DTUが長い、ということで納得である。

ベクターvs遊馬&アストラル

数か月にわたるスパイ工作により遊馬とアストラルを追い詰めたベクター。次の自分ターンで決まりという状況で、遊馬とアストラルは新たなZEXALにエクシーズ・チェンジする。

ベクター「何!?新たなゼアルだと!?」

ベクター「だが、今更進化しても遅いんだよ!」

ZEXAL「それはどうかな?」

ベクター「何!?」

ZEXAL「重なった熱き思いが、世界を!希望の世界に再構築する! Re-Contract Universe!」

奇跡の光が闇を払い、ベクターの渡した≪RUM-リミテッド・バリアンズ・フォース≫は真の姿≪RUM-ヌメロン・フォース≫になった。

ベクターにしてみれば数か月の努力を一瞬で粉微塵にされてたまったものではないのだが、たかが数か月である

書き換えを行う力「ヌメロン・コード」はベクターがバリアンになる前(おそらく数千年前)から存在していたので、

DTU=数か月 vs DTU= 数千年である。

そんなとんでもない伏線回収を前にすれば、数か月なんか一瞬で吹き飛んでしかるべきである。

あとがき:神の一手

アニメに見るように、「それはどうかな?」から続く逆転の一手は、複線となるDTUが長ければ長いほど輝く。

神の一手は1ターンにしてならず。

DTUを拡大すると、楽しい1日は1週間にしてならず。

そして決闘は人生。人生を考える哲学である。

「それはどうかな?」はDTU学を介して哲学に昇華できる。

エド・フェニックスはここを通って自分の著書を書き上げたと考えられるのである。

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目指せ!万丈目、プロデュエリストへの道!より
高橋和希 スタジオ・ダイス/集英社テレビ東京NAS