【まい投2020-10日目】ブラックボックス
関数は、かつて「函数」と書いたそうだ。
「函」は函館(はこだて)と読むように、箱を意味する漢字である。
一方数学で出てきた関数は、という形で学校で習ったアレである。
とは箱である。その箱に
というものを入れると、箱の中で
にある操作をして箱の外に出す。そうして外に出てきた結果が
というわけだ。
関数の問題といえば次の2種類が代表的である。
- 既にわかっている関数に値を入れて出力結果を求める
- 入力値と出力結果からどんな関数か求める
「という関数の
に2をいれたらいくらか」と出題されるのが前者だ。
「中でやる操作が既にわかっている箱に、試しに操作をさせてみよう」という趣きの問題である。
後者は、「 という形の関数の係数
を求めなさい、という問題だ。箱はブラックボックスになっていて、その時点ではどんな操作をする箱なのかわからない。それを求めるためには、
(2をいれたら4が出力)みたいな「入力値と出力結果」の数式が何個か必要になる。
この問題だと関数を完全に知るには3つの数式が必要になるが、1つわかるごとに箱がどんなものかがクリアになっていく。1個1個の条件が真実に迫るためのカギになる。
ところで、「人とは自分が何者なのか知りたい生き物だ」というのは、今年のまいにち投稿1日目でも書いた。
この「自分が何者なのか知りたい」という問いは、自分が「何をすればうれしいか」「何ができるか」みたいな見えない答えを知るためのものだ。
僕はこの「何」が、人というブラックボックスを知るための入力値に当たると考えている。
ブラックボックスになっているということは、人を関数だと考えれば、その箱の形や係数を知ればどんな人なのかがはっきりする。
そのためには「入力値と出力結果」が必要だ。人は複雑なのでとてもたくさんの数式を用意する必要がある。
「という新しいことをしてみたら、自分は
という気持ちになった」ということだ。よく知る言葉に直せば、「入力値と出力結果」は一つの「経験」である。
自分を完全に知るのは難しいかもしれないが、経験を積み重ねれば自分の解像度が少しずつ上がっていく、ということだ。
そう考えれば、「やってみなくちゃわからない」という言葉は「結果」だけではなくて、「それを出力する自分」にも言える。
に何か入れて結果を得ないことには、箱の中で何をやっているかを求める問題を解くことはできない。
わからなかったらとにかくに何か入力してみよう。自分に対してそう思う。