20日目 「森」を見て「木」を見ず
「木を見て森を見ず」ということわざがある。
「個別のことにこだわりすぎて、本質や全体を見通さないこと」という意味で、
「ことわざ」というだけあって陥りがちな思考の悪いクセとして知られている。
森をみる、というのは全体の傾向を捉えること。森とはたくさんの木をおしなべて見るとわかってくるモノといえる。
木の重さは一本一本異なるが、森全体で見れば一本当たり平均どれくらいかわかる。「目の前の木が500kg」というのがわかっただけで、「森全部が500kgの木でできている」とは誰も思わない。
しかしながら、はじめから森を眺めていると見落としてしまうものがあるように思う。
「生物は子孫を残して繁栄してきた。だからあなたが子どもを持とうとしないのはおかしい。」という考えをまれに人から耳にする。
生物という「森」全体を見れば、子孫を残すように動いてきた歴史があるのは確かかもしれない。
一方で「木」である個体ごとではどうかというと、どんな動物にも一定の割合で子孫を残そうとしない個体が現れるそうだ。
全体の傾向として子孫を残す個体が多いだけで、個体全部がそうしたいと思っているわけではない。ごく簡単な話だ。
森だけを眺めることで、見落とすのは、木一つ一つの形や重さが全部違っていることだ。木が森を形作っていることを、忘れないようにしたい。
19日目 マンホールのフタ
Pmanです。
マンホールってご存知ですよね。下水管などにつながっている穴のことです。よく勘違いされますが、あのまるい円盤は「マンホールの蓋」といいます。
側溝にはJIS規格がちゃんとあり、この規格に合うようにメーカーが側溝を作っています。マンホール蓋の番号は「A5506」です。
日本工業標準調査会:データベース検索-JIS検索
マンホール蓋は建築資材として一般に売られていますが、一方で実際に公道で使われているマンホールのフタは公の機関が設置しています。
じつは、その公のマンホール蓋を手に入れられるチャンスがあるらしいのです。
福井県福井市は、今年になって2回も使用済みマンホール蓋を一般に売り出しています。(最新で2019年7月29日)
デザインもユニークなもので、ホンモノとしての貫禄は市販のものとは一線を画します。
使用済みのマンホールふたの販売について【第2弾!!】(終了しました) | 福井市ホームページ
フタつとないマンホールを手に入れるチャンスを伺ってみるのもいいかもしれませんね。
18日目 近代 現代 その次は
「近代的」は今っぽい、目新しい、みたいな意味に聞こえる。「近代的建築」と聞くと現代風の建物が思い浮かぶかもしれない。また「近頃の世の中」を表すのに近世という言葉も使う。
歴史上の区分では、時系列順に近世、近代、現代と並ぶ。
一方で日本語としては近世、近代、現代はどれも同じく「今の世の中」という意味で使われているようだ。
察するに、時代を区別するために古代と対比して近代という言葉が使われたのだろう。中世というほど遠くない過去を近世と呼んだのも無理はない話だ。
近代という言葉を使ってしまったために、次の時代の名前を悩んだ末に「現代」にしたなら面白そうだ。
昔大正モダン(現代)と言ったように、人が今存在する時代によって「近代」「現代」はズレていくのだろう。
だが、歴史的区分としての「現代」という言葉はどうか。次の言葉をひねり出す準備が必要だ。
英語でモダン(modern)から移り変わった時代を表すのにポストモダン(post-modern)という言葉があることを考えると「後現代」という言葉が近々誕生するかもしれない。
17日目 ColumPus、椅子の名前だった
16日目 自分と同じ=かわいい
SNSに流れてくるペットの動画犬には、の鳴き声に合わせて人間のセリフを字幕につけたものをよく見る。
毛布を落とす隙にどこかに消えた飼い主を鳴きながら探す犬。
手に握った餌1粒を引き当てるも、逆の手に10粒入っていて呆然とする犬。
オッサンみたいに寝転がる猫。
どれも、言葉でなく心の底からかわいいと思える。
このかわいさの源泉はどうも、「自分たち人間と同じだと感じられること」のように思える。
「かわいい〜!!やっぱり犬もそう感じてるんだね!」とは友だちの感想である。
人間と他の動物は本来別の生き物だが、「自分と同じ」と思えた瞬間、それに魅力を感じられるのではないか。
これに従えば、バリバリ働くできる上司がかわいいと思えるのも、「完璧人間にある親しみやすい(自分と同じ)ところ」を感じられるからだといえる。
これは自分と同程度だと思っているモノほど、かけ離れた点を見つけるとマイナスの感情が湧くのかもしれない。
可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったものである。
15日目 オブラートで本音を変える
オブラートに包む言い方をしていると、根まで優しくなれる気がする。
見当違いなことを言う人には「斬新だね!」
他の人の秘密を漏してくる人には「事情通なんですね」
すぐにマウントを取ろうとする人には「人と比べて向上心があるんですね」
後者の方を本音だと思う「本音のすり替え」をおこなえば、強い言葉は頭に浮かばない。
実際に言葉にすることでそちらの印象を脳に焼き付けるのである。
また、なかなか帰ってくれない客には「いい時計してますね」と言うといい。
・・・根が優しいと思ったのはもしかしたら間違いだったかもしれない。
14日目 「置換」する毒
中学の理科に「元素周期表」が出てくる。
一定の周期ごとに似た性質の元素があらわれるというもので、
たとえば原子番号11のナトリウムと19のカリウム、9のフッ素と17の塩素という「8番違いの元素どうし」は、それぞれ似た形の化合物をつくる。
似たものができるという意味で、それぞれは置換しあう。しかしながら「似ているから完全置換すればいいじゃない!」とはなかなかならない。
カルシウムと鉛は一部似た性質ももつ故に体内に吸収されやすいが、吸収された結果は天と地ほど異なる。
性質の近いもの同士を置き換えると、それが似ていれば似ているほど、「性質の違うところ」が原因で元とは変わってしまうものである。置き換わることができる故に身体に牙を剥くのが毒の一つの特徴である。
自分が成し遂げられなかったことを、同じ立場の人に託すと歪みが出るのも似た例だ。
こういう似たものを結びつけるたとえ話もまた同じではあるのだが。