【まい投2020-33日目】まいにち投稿2020振り返り【18日目~31日目】
まいにち投稿2020から1ヶ月を区切りにして振り返りをする記事、後半です。
後半は、前半で書いた記事を深めたものや、その流れを受けて書いたものが多く、さながらシリーズもののコラムみたいになっている。「Colum」Pusの面目躍如である。
- 18日目「真実の伝聞についての思索」
- 20日目「波」
- 22日目「色を理解すること」
- 23日目「天と地の違い」
- 24日目「他人と他人さん」
- 26日目「デッキ構築は対戦から」
- 27日目「なりたい自分になる自分に向けて」。
- 28日目「大人と諦め」
- 29日目「【デッキ紹介】☆5軸戦士 」
- 31日目「イタリアンプリンアイスバー」
- 明日からの記事について
18日目「真実の伝聞についての思索」
私たちが「ひとづての情報」から得ているものは、あくまでも『Aが「Bだ」と言った』という単なる伝聞であり、「Bだ」自分にとっては真実ではない、というもの。
直接見ていないものに真偽の判断はできない。それを伝えたAさんに委ねるしかない。
ここで、「真実=有意義な情報」とは限らないことを補足しておく。物事を正確に把握しているか否かだけの話であって、真実は正義とかいうのとは無縁である。
さらに補足しつつ発展させてみる。
真実はフィルターを通っていない情報である以上、「ひとづて情報」は、そのままでは真実ではない。それを信じる限り、伝えた者に判断を委ねていることになる。自分で確かめて初めて、真実とつながる。
その意味では、「質量保存の法則」や「つばめが低く飛ぶと雨が降る」みたいな言説も、結局は「ひとづて」の情報である。教科書や国語辞典に載っていることも「ひとづて」に含まれる。ただ『「ひとづて」の「ひと」』の信憑性に違いがあるだけだ。
20日目「波」
前半の「人の視界」の流れで書いた記事である。
人の神経を伝わる情報が波の形で伝わる以上、どれだけ複雑でも単純な波の重ね合わせで再現できる、と考えた。再現度を高くするには、「単純な波」の形をたくさん知っておく必要がある。
22日目「色を理解すること」
経験したことが根っこにないと、新たな知識を理解に入れられないことを書いた。
「生壁色を暗くしたら根岸色になる」と言われてもさっぱりである。それを信じたとて、その判断は他人に委ねられている。主観で知っているわけではないのである。
23日目「天と地の違い」
経験が根っこにある理解を「地続きの理解」と名付けた。(記事内の『理解の蔦』を参照されたい)
地べたの経験まで辿って納得するより、知識を2、3個遡って納得のようなものを得る方が速い。本来理解は「地続き」なのに、地面を経由せず知識を入れてしまうことになる。知識に主観を明け渡してしまう状態だ。
この日は自分の言いたいことを形にできたが、冗長で煩雑になってしまった。反省を活かし26日目に分かりやすくまとめた。
24日目「他人と他人さん」
人が使っている言葉は、たとえ同じ日本語だとしてもそれぞれコアな意味がズレている。その意味のズレが個々人のフィルターに違いがあることを露わにしてくれた。
26日目「デッキ構築は対戦から」
記事の前半で23日目をまとめなおし、それを基準にして後半で「【遊戯王Advent Calendar 17日目】デッキ構築をやめよう 」を、まいにち投稿で積み上げた思索を武器に今一度考えてみるという趣向だった。プラネタリウムに次いで書きたかったテーマの一つだ。個性を知るには対戦してみないとわからない。
27日目「なりたい自分になる自分に向けて」。
「ひとづて」や「地続きでない理解」に見られる「主観や判断を他に委ねる性質」が、後半戦の隠しテーマになっていて、それに基づいた記事を出したい、という決意表明みたいなものだった。
その1発目が、30日目「欲はタテにもヨコにも無限」。
欲は「得ることに」ではなく「求めることに」本質があり、そこから「目移り」「自動的に満たそうとする機能」の2つの性質を見出した。
欲が支配する限り、欲が自分の代わりに考え、行動するのである。
28日目「大人と諦め」
29日目「【デッキ紹介】☆5軸戦士 」
は単発の思いつき記事である。なんとここが遊戯王ネタ初。
31日目「イタリアンプリンアイスバー」
そして1ヶ月後半戦の締めは、またしても食レポ記事である。
「イタリアンプリンアイスバー」は、ちょっと置いてから食べるとおいしい。
明日からの記事について
明日からは、「なりたい自分になる自分に向けて」を受けたゆるやかな流れを踏襲しつつ、書けるだけまいにち投稿を続けていきたい。「好奇心」「バーチャル現存在」とか、タイトルだけふわっと固まっているものは一応ある。
それが「なりたい自分になりたい誰か」の救いになることをちょっと期待しつつ。
【まい投2020-32日目】まいにち投稿2020振り返り【1~17日目】
今年のまいにち投稿を始めて31日が過ぎた。始めたのは中途半端だが、ちょうど1か月分で区切りがいいので紹介記事を書く。(過去記事を読んでほしいのもある)
今年の投稿は例年と違って、ゆるやかに流れがあったので、それに沿ってゆるやかに紹介したい。自分で気に入っている記事の紹介は大見出しにしている。
今日は17日目まで。
「書く」欲求の源泉〜燃料
今年1日目は、去年1日目の「「書く」欲求の源泉」に対応させた記事。
「湧いてきたモチベーションを自分自身がどう昇華させたいのか」について、ブログ企画の記事「【遊戯王Advent Calendar 17日目】デッキ構築をやめよう 」から得た気づきを書いた。
僕にとって『「なりたい自分になる」ことに苦しむ人の助けになればいいな、という気持ち』が知らぬ間に燃料になっている。おせっかいおじさんである。
フィルター
3日目、「ブログネタをどう考えているか 」では、ぼんやりとした考え事をどう記事にアウトプットしているか考えた。その実践として、4日目「画像について考えた思索」にを書いた。今読むと、自分が頭の中で実際に考えていることに近く、いい意味で言語化できてよかったが、本当にとりとめがない・・・。
5日目「真実はいつも一つで多重的 」6日目の「当たり前の証明 」は4日目から思索を1歩ずつ進めた記事だ。「フィルター」というワードを手引きにして、「フィルター=偏見が個性をつくる」「当たり前にたどり着いても無駄にはならないはず」と考えが進んだ。
写真を撮ること
7日目「写真を撮ること 」では、「人の視界がどうしても2Dになってしまい、本来の3Dの形でものを見れないこと」を「1枚の写真」に喩え、情報をある程度補完するには「別の視点から撮る」「動画のように時間を変えて何枚も撮る」必要があると考えた。また、それでも完全には復元できないから「差し引いて」判断しないと誤解を招くと結論付けた。
ブラックボックス
10日目「ブラックボックス 」では「自分とは何か」という問いを関数の問題に喩え、行動=入力値と経験=出力値の組がたくさんあるほど答えに近づける、と考えた。
その意味で、「やってみなくちゃわからない」とは結果のことだけではなくて、「関数である自分自身」も「まず入力してみないとわからない」。
視界
7日目の流れもあり、11日目から16日目までは、人の視界にフォーカスした記事になった。
14日目「客観のひき算」では、「自分の外にあるものではなく、自分の中から自分を見る客観のようなものがある」という手掛かりらしきものを得た。
プラネタリウム 内から見るか、外から見るか
16日目の記事は僕が今年のまいにち投稿を始める前から書きたかったテーマだ。
人はプラネタリウムのような視界を持っていて、スクリーンに映った2D映像を見ている。自分視点の他人は3Dではなく、スクリーンに映ったごく一面しか見えていない。逆に他人から見て自分は外面の屋根しかみえない。
「客観のようなもの」はプラネタリウムの内側におり、そいつには裸の哲学を晒している。本来他人に見えない部分まで俯瞰して見ることは客観視ではなく「自己分析」。客観的に省みることは「外から見た自分=屋根」を気にして「外面の性格」をどうこうすることで、「ドーム内の自分」を否定することでは決してない。
「客観のようなもの」を「客観視」だと間違えると簡単に自分で自分の人格を否定してしまえる。何もかさぶたがめくれた部分をずっと触るような痛みを感じつづけることはないのである。
1日目の「燃料」=「苦しむ人へのメッセージ」を昇華して、1か月の前半を終えた。書く内容も書き方も、少しずつ納得いくものになったかな、と思っている。
チーズチーズチーズ
その「書き方」の部分だけをぶつけたのが、17日目のこの記事である。
記事を書いた翌日から少し反響があって、早速買って犯罪的な夜勤明け時間を過ごした人や、
買えなくて苦しんだ人がいたそうです。
【まい投2020-31日目】イタリアンプリンアイスバー【セブンイレブン商品紹介】
前回のセブンイレブンレビュー、たくさん読んでもらったみたいで嬉しいです。
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とてもラッキーだった。探すのに半日は覚悟していたが、1店舗目でゲット。
話題の「イタリアンプリンアイスバー」。
アンデイコ イタリアンプリンアイスバー|セブン‐イレブン~近くて便利~
買って車に戻った直後、辛抱たまらず開けてしまった・・・。
開けた瞬間に広がったのは、プリンといっても「イタリアンプリン」の香り。カラメルソースの甘い匂いと、ほのかで上品なチーズが、頭の中をかき回してくる。くらくらしてきた。
冷たいものは、その刺激だけで口を喜ばせるという。アイスが口の中で溶けるとアイスがプリンになる。アイスとプリンの境界線がぼやけていく。楽しい。冷たさの刺激と、ねっとりとして滑らかな口当たりの対比が、DV男がしてくるハグみたいに、逃げ場を失わせてくる。
味は・・・イタリアンプリンだ。
さすがはセブンイレブン。イタリアンプリンを既に開発していたのである。
イタリアンプリンとはチーズが混ぜられ、甘さ控えめかつ硬めに作られたプリンである。そのノウハウが十全に活かされている。
ただひとつ失敗だったのは、買ってからすぐに食べたため、アイスとして少し硬く、ねっとりとした食感を楽しみきれなかったこと。もう少し待ってから食べればさらに美味しかったことだろう。
というわけで買って少し置いたのがこちらでございます。
買った店にかなり在庫があったようで、夜に行っても置いていた。
こちらの感想は自分で独り占めしようと思います。
いただきま〜〜す^^
それでは。
【まい投2020-30日目】欲はタテにもヨコにも無限
「欲」は求めることに本質がある。
たとえばAというものを手に入れた瞬間、「既に手に入れてしまっている」ので、「これ以上手に入れようとすることができない。」
つまりこの段階でAから欲を満たすことは出来なくなり、自動的に次のBを求めることになる。欲は目移りする。
その意味で言えば、ガチャは回す時が最も快楽を感じる瞬間だし、食事は食べきる前が一番気持ちがいい。
積極的に浮気してしまう人は、交際に至ることを「人を手に入れること」だとどこかで思っていて、手に入れた段階で欲は満たされなくなり、次の人を求めてしまう。
ある欲を断ち切るにはもっと強い種類が違う欲に支配されるか、苦しみを味わうしかない。
Aを手に入れられないと分かったとき、それでも手に入れようとしてしまうなら、「無限に手に入れようとすることができる。」その欲は無限になる。
スパッと諦められたとしても、目移りの性質によってまた別の欲に囚われる。こちらも無限だ。
欲はタテ方向にもヨコ方向にも限りがない。
欲が何かの原動力になるという話は、「欲」の「自動的に求めつづける」「目移りしつづける」機能に期待してのことだと思う。うまく扱えるなら力になるだろう。ただし目的を達した後、自分には「満たされなくなった無限の欲」が残る。
大盛ラーメンを食べて腹が苦しくなった昼に思った与太話である。
【まい投2020-29日目】【デッキ紹介】☆5軸戦士
夜な夜なdiscordサーバーに集まって遊ぶ友達がいる。
リモートでTCG、特に遊戯王もたまにやるのだが、遊ぶモチベがあっても頭を使いたくない時がある。今日は、そういう時に持ち込むデッキを紹介したい。
頭を使わないデッキなので紹介もごく簡単に。
デッキ名
【☆5軸戦士】
デッキレシピ
詳細レシピはこちらのリンクから
簡単な解説
このデッキのエースは「魔装戦士ヴァンドラ」だ。
レベル5・攻撃力2000ながらダイレクトアタッカー。「魔装戦士」なので「召魔装着」でリクルートでき、バフを合わせればいきなり2300を削ってくれる。
デッキ名にもなっているレベル5の戦士族といえば、「蛮族の狂宴LV5」である。モンスターを2体蘇生する派手な効果でありながら、X召喚などの素材にすればプレイヤーにはノーデメリットというパワカである。
レベル5戦士として採用している「剛鬼」にはこちらも2体蘇生の「剛鬼再戦」があり、2枚が合わさると結構派手な戦い方ができる。
そして並んだ☆5×2を攻撃的なエクシーズに換える。
- 「シャーク・フォートレス」で高打点モンスターやダイレクトアタッカーに2回攻撃を付与
- 殴った後に「ヴォルカザウルス」で焼く
なりなんなりしていれば、相手のLPはいつの間にか尽きている。削りきれなくても大丈夫。EXデッキにヴォルカザウルスがあと2体いる。
基本はこれだけ。デッキを組む段階から考えることはほとんどなかったし、このデッキでプレイするときもただ相手のライフを刈り取ることしか考える必要はない。
すこし採用カード解説
戦闘補助カード
もともと直接攻撃効果をもつヴァンドラや「混沌の戦士カオス・ソルジャー」に戦闘補助をしてやることで、さらにライフを早く刈り取れる。
「ヘルモスの爪」で出てくる「ロケット・ヘルモス・キャノン」は2回攻撃と貫通を付与する。
2回攻撃付与の「『焔聖剣-オートクレール」や、直接攻撃付与の「聖剣クラレント」は、「聖騎士の追想イゾルデ」のリクルート効果からの「焔聖騎士-リナルド」で手札に加えられる。
「剛炎の剣士」は、素材の軽いバフカード。500の上昇も「2回攻撃」がつくと化けるし、②の効果で「剛炎の剣士」を自爆特攻させて墓地の「魔装戦士ヴァンドラ」を蘇生、2000の直接攻撃が狙えるのも強い。
気の置けない友達とデッキをとっかえひっかえして遊ぶ中で、こういうデッキを唐突にぶつけ、勝っても負けても煽り合いながらやるのがとても笑えていい。
【まい投2020-28日目】大人と諦め
「大人になる」とは「諦めること」と誰かが言った。子どもの自分には良くわからなかった。
「大人」というワードが意味を持ちすぎて捉え所がないせいもあったかも知れない。
逆に「いつまでも子どもな人」と言うと、「純粋・やりたいことに素直・向上心を捨てていない」みたいなポジティブなニュアンスと、「現実が見えていない」みたいな冷ややかなイメージが混在する。
諦めるという言葉に対しては「ギブアップ」みたいなイメージがつきまとう。
ただ「諦める」はもともと仏教用語で、「ものの道理を明らかにすること」が原義だ。「明らかにした上で、フラットに考えて冷静な判断を下す」というニュアンスである。
諦めの対義語は「執着」である。心が囚われてしまって、やめ時を失ってしまっている状態である。視野が狭窄し、冷静な判断がつかないのである。
これは余談だが、たまに執念がいい意味で使われるのはあくまでも「本当は良くない執着をしてまでやるという意気込み」に対してであって、第一義的に「執着」はネガティブな意味である。
この意味を見れば「諦め」とはやはり、現実が見えている状態のようだ。
ただ、「やりたいことを断念する」意味でもない。なりたい自分が実現できるなら、諦めはそれを邪魔しない。やりたいことに「執着」するなら、諦めがブレーキになるだけの話だ。諦めと向上心を捨てることとは分離できそうである。
「大人とは諦めること」と言った誰かが、そのにどんな意味を込めたかは未だに分かっていない。なるほど確かに、「諦め」ができるのは立派な大人っぽいのはわかった。執着を捨てるには途方もない知識やら濃密な経験やらが必要だからだ。
【まい投2020-27日目】なりたい自分になる自分に向けて
ここのところの記事、特に23日目と26日目の2つは「主観を他に明け渡すと、個性を喪失する」という裏(?)テーマで書いている。
【まい投2020-23日目】天と地の違い - ColumPus
【まい投2020-26日目】デッキ構築は対戦から - ColumPus
主観を明け渡すということは、判断基準が自分以外の者に委ねられるということである。
また、明け渡された側から見ればそれは主観に「憑依」 している。憑依してくるものは自分の中に元来存在するけれども、地続きの理解をする自分とは別の席にいる。16日目の記事の言葉を借りれば、「プラネタリウムのドームの中から自己に憑依しようとする存在がいる。」
もともと、「なりたい自分になってほしい」という燃料のもとに書いているのは今年の投稿の1日目に書いた通り。
さて、1年の間、『何を燃料として書いているか』をたびたび考えていた。 燃料とは、書くときに「エネルギーにしていること」である。 思い当たったのは、『なりたい自分になってほしい』というもの。平たく言えば「おせっかいおじさん」みたいなものだ。
【まい投2020-1日目】「書く」欲求の燃料 - ColumPus
自己に憑依してくる他の存在は判断基準を都合通りに塗り替えるので、判断から責任をも奪っている。「人がこう言うから」「ふつうはやらないから」「あれが見たい」などと、身体を進ませたりブレーキを掛けたりして判断に介入してくるが、自分は憑依された自己に重荷を背負わせてしまえる分、ブレインを預けたがってしまう。
こうした憑依は、「なりたい自分の障害になる」ばかりか、「なりたい自分を覆い隠してしまう」。
なりたい自分になるため、「自己に憑依してくる何かに迫りたい」というのが今後のまいにち投稿での目標だ。